ほめどころ

がうがう

能「道成寺」観ました

満次郎の会「無明怨念」

http://manjiro-nohgaku.com/manjironokai/


自由席のチケットをとったけど、自由席群が中正面にかたまってて、奇しくも「通」が好む席に座ることになった。目付柱がいわゆる「障りの木」になる位置。

絵解き「道成寺縁起」

道成寺の住職さんによる能舞台での絵解き。通常は寺内でやるらしいんだけど、今回は特別ということらしい。自席がわりと後ろだったのでオペラグラス持って行ってて良かった。
住職さんのトークはかなりキレてて、くすぐりや客いじりなんかもやってて噺家みたいだった。配られてたパンフレット見ると、道成寺参拝者に毎日この絵解きをやってるらしく、さすがの練度だった。
能「道成寺」の発端である安珍清姫伝説の内容が、イケメンの僧と、その僧に惚れたが裏切られた清姫の怒り、なので茶化しやすいっていうのもあると思う。客のいじり方はご想像の通り。能舞台にて、演劇用語でいう第四の壁を破る演出はなかなか新鮮で良い試みだと思った。

絵解きってこんな感じ

JR湯浅~御坊~紀州鉄道・西御坊駅編 安珍清姫伝説の道成寺

仕舞「玉之段」

道成寺に縁のある髪長姫のお話。ラプンツェルじゃないよ。
道成寺の建立を命じたのが髪長姫(宮子姫)ということらしいんだけど、諸々の事情で、娘を皇后にするために命がけで、珠を竜宮から取り戻す海人の母。最終的に母は腹を切り裂いて、珠を内蔵に隠したまま命綱を引っ張ってもらって陸へ戻るっていうどえらいオチ。

舞の地謡とネットの資料ではこんな感じのお話だった思うけど、僕に古文や歴史の基礎が足りてないから理解の及ばない流れもあって、話の概要にあんまり自信は無い。

箏曲「新娘道成寺

琴と胡弓と謡。古典芸能の割にはモダンなメロディで後半の盛り上がりもリズミカルですごく聞きやすかった。音楽理論的なことはよくわからないけど、最初から最後まで聴けたのは何かしら惹かれるものがあったからだと思う。箏曲はわりと眠気が来がちなパートだけど今回は違った。

能「道成寺

劇団四季で言えば「ライオンキング」、宝塚で言えば「ベルサイユのばら」、能といえば「道成寺」だいたいそんな感じの演目。
能面の中でも「蛇」の面は道成寺か葵上でしか使われない、「真蛇」は道成寺のみらしい、ってことで、いつかは観たいと思ってた。「道成寺」の演出で、でかい鐘の中から真蛇の面をつけたシテが出てくるシーンがあるけど、鐘の持ち上がり方も含め、鳥肌が立つほど恐ろしい演出だった。このシーンを見られただけでも行ってよかったと思う。
本来、白拍子のねっとりした登場から、乱拍子→急の舞→鐘入みたいな一連の流れがあっての鐘入。その後、狂言方の掛け合いを挟んで、さらに揺れる鐘に対して僧の渾身の念仏もあって、やっと鐘から出てくる。そういった沢山のタメの最後に出てくるからこその恐怖であって、映像資料とかでそこだけ切り取っても、まったく魅力が伝わらない。そんな感じの構成だと思った。間や時間のコントロール、じらしの妙技って感じ。

とは言っても文章じゃ全く伝わらないと思うので、こんな感じ。

にっぽんの芸能 若き能楽師 道成寺に挑む 塩津圭介


鐘入の後、蛇の登場の前に狂言方の演技があるけど、そこも観客の笑いを誘う上手い演技だった。内容としては、住職に鐘が落ちたこと報告しに行かなければいけないけど、怒られるのが嫌だから小僧たちが、お前が行け、いやいやお前が行けと掛け合う。こういう、一瞬だけ緊張をほぐす演出も、終盤の蛇登場から蛇との戦いへ向けた、間のコントロール、演出の技なんだろうなと思った。

蛇との戦いのシーンでは、僧が祈り伏せようと念仏を唱えつつ舞台を行ったり来たりと、激しい戦いを演じる。その中で、柱巻きの見得のシーンがあった。これがまた、どえらいかっこ良かった。歌舞伎の鳴神とかでもあるけど、形としては能が先なのかな、たぶん。

葵上でも「蛇」は出てくるけど、どちらも装束や振る舞いが似てる気がした。うろこ柄の被布を胸下で体に巻きつけて左手で押さえる。右手には謎の棒を持って舞う。このあたりはほぼ同じだった。たぶん、「蛇」の表現として一定の決まりがあるんじゃないかと思う。
能ではこういう、人や言動の記号化がよくあって、現代の映像作品にも影響してるんじゃないかなと思う。現代でいえば金髪ツインテール = ツンデレみたいな感じ。能で蛇の装束がある程度決まっていたり、シテの足踏みが、斬撃だったり落雷だったり、場所・時間の切り替わりを表現している。人物や言動の記号化の極地が能にあるんじゃないかなとか、思ったり思わなかったり。


今まで見た能はほとんど観世流ばかりで、今回はおそらく初の宝生流だった。ググると流派で演技の違いが多々あるみたいだから、いつかは観世の道成寺を観たいと思った。